「打ってる最中に、ここでヤメたらいくらか浮くってところがあるじゃない?でも、ヤメられないんだ」

雑記

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楽太郎 氏
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私がまだ若手だった頃、嘱託で再雇用されて雑務をしている長老社員の中に「北海道から流れて来て先代から拾ってもらった」と語る老いぼれが居た。

ここでは仮に”夕張の荒熊”と呼ぶ。

このオッサンであるが、社内の飲ミュニケーションの場で興が乗って来ると決まって昔話をし始め、大体は自分がいかに会長(=創業者、既に他界)に対して恩義を感じているのかアピールすると共に、創業店舗で毎日額に汗しながら表働きに精を出し、代替わりのために会社に呼び戻された”若社長”(創業者の息子で今の社長)にもホール業務を手ほどきしたのが自慢であると、私をはじめとしたそんな話には全く興味がない連中に対して散弾銃の如くツバを飛ばしつつ至近距離に座っている者の頭や肩、太ももなどをビシバシと叩きながら熱っぽく語っていた。

コロナで色々と警戒しなければならない今の感覚からすれば、紛れもない濃厚接触である。

この私は一流大学を中退して諸芸に通じ教養も豊かな文化人であるため、”夕張の荒熊”のような前時代的でむさくるしい男から何か教わったり行いを見て感心した事はまず無いのだが、彼との会話で記憶に残っている事を敢えて挙げるとするならば、それは掻い摘んだ生い立ちと”手”の話である。

彼が生まれた家は貧乏だった。

親父さんは炭鉱労働者で、記憶にある父は家では酔っていて母と自分に辛くあたるゴミクズ野郎であり「いつか殺してやろうかと思っていた」くらい憎かった。

学校は嫌いだったから早くに働き始め、気付いたら父と同じように炭鉱で働いていた。

岩見沢と言っただろうか、具体的にどの土地の炭鉱なのかは失念してしまったが、そんな彼が住む町にはパチ屋があった。

「30台くらいだったか、小さい店で、打ち止め制の2回転営業スタイルでよく打ちに行っては負けていた」が、「肉体労働がキツくなって逃げ」て東北の小都市に移り住み印刷屋に勤めたものの当時の印刷業は今とは比べ物にならないくらい過酷な職場だったようで「士・農・工・商・印刷屋なんて自分らではそう言っていたもんだ」「(炭鉱町での仕事が)キツくてこっちに来たのに、何ならこっちの方がキツくて、また逃げて東京にやって来た」のであった。

そこで最初に有り付いた仕事が、ウチの会社のパチ屋という訳である。

母体が不動産屋という事もあり店の近くにアパートも用意してもらい、客として打ちに行くのとは違うがホールの居心地は「これが自分の天職だと思った」ほどに良く、懸命に働く中で適当に評価を得て、そのうち人づてに父親が死んだ事を知った。

母親とはどうなったのか、聞いた事が無いので分からないが、自分と近い関係の者であるほどに会いたくない時期があったようで、それは彼が「自分ではもっと何でも出来るもんだと思っていたけど、何事もそう上手くはいかなかった」ので「惨めな気持ちで生活していた」その姿を、親族はもちろん数少ない旧友にすらも見られたくなかったのであった。

そんな彼は、昔の自身のパチンコ体験について、このように言っていた。

「ウチの会社は、当時は働いた分だけは給料日前でも理由も聞かれずに前借り出来たから、恥ずかしい気持ちもあるけど言いに行くんだよ、店長のところに」

「今月もお願いしますって」

「それで何日か分を出して貰って、金返したり、適当に残ったら打ちに行っちゃう」

「でさ、負けるんだよやっぱり、そういう金で打つと必ず負ける」

「打ってる最中に、ここでヤメたらいくらか浮くってところがあるじゃない?でも、ヤメられないんだ」

「休みの日にさ、朝一で行って、全部やられて、店を出る」

「来た時は晴れてたのに、雨降ってて、手を見たら汚いのよ、黒くて」

「本当に惨めだよね、そういうの」

そんな風にしていたところ結局、彼は業務に悪い影響が出た事で上長から”制裁”を喰らい、それ以上悪い方には行かずに済んだようだが、この話は実は、私が最初に作ったブログである「パチンコ屋の裏話 現役店長がこっそり更新」の「このブログについて」という固定ページに、ほんの少しであるが登場している。

該当する箇所を引用する↓

朝一から張り切って並び、一日中打って大きく負けて、いつの間にか外では雨が降っていた。

手を見ると、黒く汚れていて、なんだか惨めな気持ちになってしまった。



彼からこのような話を聞かされたからそうしたという訳ではないが、私はホール常勤の若手社員時代から遊技に熱が入り過ぎているように見える年配の方には「お父さん、今日はもうこれくらいにしておこうよ」「お母さん、頑張り過ぎだよ、勝ってるうちに適当に切り上げるといいよ」などとお節介な”接客”をしていた。

依存問題対策など、本来はこれで十分なのである。

もちろん、業界として、という事になるとまた話は別であるが、少なくとも接客最前線であるホール営業の現場では、これで事足りるように思う。

たまには若い頃の話でも書いてみようかと思いを巡らせた時に、パッと出て来たのが”夕張の荒熊”のウザったい顔と仕草だったのは、意外に私は彼の事が嫌いでもなかったからだろうか。

もういつ死んでもおかしくないような歳だが、まだ訃報は聞こえて来ない。

せいぜい長生きすると良いだろう。

雑記

Posted by 楽太郎