夜明け前に思う~甘き幻想からの覚醒、そして訪れるEndless sorrow~

2020年2月28日雑記

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楽太郎 氏
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舞台は山間の古い宿場村。


そこに住むある壮年男性は、黒船寄港後の混乱も影響しての江戸幕府による大政の奉還、つまりは明治の御一新に、その気持ちを昂らせていた。


彼には国学の覚えがあったため思想の根底では常に生粋なる日本的なものを求めており、この時代の潮流の真っ只中にあっていよいよ「王政復古」が成った未来への夢を見た。


しかし、哀しいかな、当初は天皇親政の下で世の不条理/不合理の是正が期待されたものの、現出したのは日本的なもの=神武の創業への回帰という理想とは真逆である明治政府による脱亜入欧=西洋化=文明開化であり、要するにはただの近代化に過ぎなかった。


その絶望的な現実を目の当たりにした彼は、かつての篤い世直しの志も打ち砕かれ、周囲から危険人物として遠ざけられ、日の当たらぬ座敷牢の中で精神に異常を来し、悲劇的な最期を迎える。


——ご存知、日本文学史に燦然と輝く巨星・島崎藤村の長編小説『夜明け前』のあらすじである。


私は藤村を敬愛しており、人生の逆境にある時、岐路に立っている時、要はどのように物事を処すべきか迷った際にはその著作を読み返し、それは詩集も含めてであるが自伝的/内省的な趣きが強い彼の言葉のひとつひとつからエッセンスを得て来た。


今、私の手元には先に紹介した『夜明け前』と『桜の実の熟する時』があり、パラパラとページをめくっては内容を再考すると共に、一体どのような気持ちで彼がこの言葉を選んだのかについて思いを致しながら夜のひと時を過ごして居る次第である。

さて、本題。


管理遊技機について。


十数年にわたるその構想が人前に出せる形になっていよいよ姿を現す訳だが、最近は特に当初言われていたようなものとは本旨が違うのではないかと思うようになっている。


いわゆる封入式、ECO遊技機という呼称で扱われていた当初は共通部品の採用等による入替コスト減が専らの話題であったが、それが管理遊技機と呼ばれるようになると一変して趣を変え、依存問題対策を旗印とした取り締まり行政側との結びつきの強化が主題になったように思う。


同時進行的に、メーカー側が出して来るメインタイトルのパチンコ機は台枠が豪華な仕様になり、消費増税や業界全体の懐具合の悪さ等も影響して機械代は高額化の一途を辿っている。


こういった状況にあって、果たして管理遊技機がホールにとってコスト面での負担減或いは入替作業負担の軽減に寄与してくれるのかと不安が募り、結局はあらゆる面での負担が増すだけなのではないかという懸念がホール関係者の中で日増しに大きくなって来ているように思う。


私は、旧ブログ開設当初から何度も管理遊技機構想に言及し、過去記事も7~8本はあるかと思うが、一貫して管理遊技機がホールの負担を減ずる事は無いだろうというスタンスで臨んで来た。


それは今でも同じ、いや、より強く、そう感じる次第である。


仮に液晶搭載デジパチの機械代が現行の税込み45~50万円水準から30万円台まで大幅にダウン(!)しても、おそらくは管理センターとの通信費/維持費という形でランニングコストが発生するだろうし、現時点ではなかなか見通せない問題が他にも出て来るものと予見する。


十数年前、この構想に触れてホール営業の未来に夢を見た人たちはもう引退していたり、そういった大局的な事を考える余裕もない程に日々の営業、もっと言えば粗利の確保に腐心する毎日を過ごしている場面も多いのではないかと思う。


管理遊技機時代は、ホール営業の何を、どの様に変えるのか?


その答えが出る時は近づいて来ている。

雑記

Posted by 楽太郎